至と到。

或る地名が指し示す物事は、範囲です。範囲は、地表面上の点集合です。
或る地名を、Aとします。だから、Aは、点集合です。
ここで、問題点が、出現します。
或る地点からの方角と距離(或いは所用時間)を示しながら、「至A」と書いても、点集合の、どの点を指し示したのかが、一見、わかりません。
だが、一つの良い推定が、あります。
「至は、その面の境界を指し示す。」という推定です。面の境界も依然、点集合ですが、面全体から比べて、随分、対象が、絞られます。或る地点から至Aならば、ごく自然に、入り口となる、境界の或る点が、推定できます。
また、或る地名Xから、或る地名Yに至る、ならば、その地名の境界同士の、最短の行程、或いは、他の情報があれば、その情報から推定できるごく自然な行程、と考えれば、少なくとも、魏志倭人伝では、矛盾が、ありません。
だが、少し、注意が必要です。「至」とよく似た「到」という字は、読者の視点を、ある地名の一点に、固定します。
その一点は、到着点であるにせよ、出発点になるにせよ、その地名の境界ではなく、その地名の機能の中枢【点】です。

帯方の境界から女王國の境界まで、12000余里。

帯方の境界から、狗邪の中枢点まで、7000余里。
狗邪の中枢点から、対馬の北の境界(海岸)まで、1000余里。
方400里の島を巡り、次の渡海のために、対馬の南の境界(海岸)まで、800里。
対馬の南の境界(海岸)から、壱岐の北の境界(海岸)まで、1000余里。
方300里の島を巡り、次の渡海のために、壱岐の南の境界(海岸)まで、600里。
壱岐の南の境界(海岸)から、松浦の境界(海岸)まで、1000余里。
その松浦の上陸地点から、伊都國の中枢点まで、500里。
伊都國の中枢点から、奴國の境界まで、百里。
伊都國の中枢点から、或いは、伊都國の中枢点から辿り着く奴國の境界から、不彌國の境界まで、百里。

このように、魏志倭人伝は、理解できます。


このブログの人気の投稿

伊都國について。

アマテラス粒子が、発見されました。

炭素同位体比率とは、何か。